福岡の銘菓

梅ヶ枝餅(うめがえもち)は、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子。

小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅で、出来上がると軽く梅の刻印が入るようになっている。その名称は菅原道真公のエピソード (後述)に由来しており、梅の味や香りがする訳ではない。よく饅頭と勘違いされることがあるが、実際は餡子入りの焼餅。

この梅ヶ枝餅のルーツとなる話がある。その昔、菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を売っていた。その老婆 が元気を出して欲しいと道真に餅を供したところ、その餅が道真の好物となり、道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされている。 また、別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で食事 もままならなかった時、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れする際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来 とされており、絵巻にも残っている。

この梅ヶ枝餅は西鉄太宰府線・太宰府駅から太宰府天満宮の門前の茶店や土産物店、梅ヶ枝餅専門店などで販売されているほか、県内で行われる縁日や観光名 所、駅や空港などでの出店などでも販売されている。本家に相当する店は現在のところ不明。一時期、どのお店も「元祖」と表示していた時があったが、まぎら わしいため「名物」と表示されるようになった。梅ヶ枝餅には「梅ヶ枝餅協同組合」というものが存在し、これに加盟していないお店の餅は「にせ餅」と呼ばれる(太宰府に店舗を構えている店は例外なく協同組合に入っており、登録商標も取得している)。

同一の製造方法で、太宰府天満宮門前以外の福岡県内の著名な神社である筥崎宮や宮地嶽神社や宗像大社などの門前で売られている「松ヶ枝餅」もあruが、こちらは類似品であり梅ヶ枝餅と直接の関係はない。

梅ヶ枝餅は「手焼き」といわれる鉄板で4個ずつ焼く方法が主流だが、最近は梅ヶ枝餅を自動で焼く機械も登場しており、天満宮参道の土産屋などで見かけることがある。また、「だご」といわれる焼く前のタネを自動で作る機械も存在する。

焼きたてをそのまま食べる場合はパリっとした香ばしい食感を楽しむことができるが、お土産として持ち帰る場合は水分が飛ぶのを防ぐため薄いビニールシートで包んだ後に包装する。このため持ち帰って食べる場合はどうしてもやわらかい食感になってしまう。家庭で焼きたての食感に近づけたい場合は、ビニールシートをつけたまま電子レンジで20秒ほど度加熱し、その後ビニールシートを外してオーブントースターで1~2分焼くとパリっとした食感を味わうことができる。やわらかい食感が好みの場合はビニールシートをつけたまま電子レンジで1分程度加熱するとよい。
ちなみに梅ヶ枝餅2つでさらに餡をはさんで食べるのが正式な食べ方である。

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「ひよ子」は1912年に福岡県飯塚市の吉野堂で生まれた、見上げているようなひよこの形をしたお菓子。ヒヨコの形になった理由は、二代目店主の石坂茂が「大勢の人に愛される、従来の丸い形ではない饅頭を」と考えて悩んでいた時に、自らがヒヨコで埋め立てら れる夢を見たのがきっかけといわれている。

元々は炭坑地帯である、飯塚のお菓子だった。その昔、飯塚は長崎街道を通って本州へ運ばれる砂糖を比較的容易に手に入れられたために菓子製造が盛んだったのと、重労働である炭坑作業の後に甘い物が好まれることから地元で定着していった。その後、1957年に福岡市内に進出、ここでも人気となり福岡市内一円に進出して辛子明太子などとともに博多土産の定番となった。さらに1964年に開催された東京五輪の頃に東京へ進出し、東京駅や羽田空港などターミナルを中心に出店して、現在では東京土産としても有名である。東北新幹線上野駅延伸開業後は東北方面にも広まっている。関東以北では「東京銘菓ひよ子」と宣伝して知名度を獲得した経緯から、福岡発祥の菓子であることを知らない人も多く「東京から来た人が福岡の人に東京土産として『ひよ子』を持ってきた」などという実話もある。

昔は「ひよ子」の形をした木型を使い、職人によって一つ一つ手作業で作られていたが、現在では、製造工程が完全に機械化されており、焼きゴテで「ひよ子」の”目”を入れる作業も自動化されているが、しばしばデパートなどの実演販売において手作りを見ることができる。ちなみに手作業の時代に使われていた木型は資料として保管されている。

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「千鳥饅頭」は1927年に福岡県飯塚市の千鳥屋で誕生したお菓子。
南蛮菓子の一種である丸ボーロに白餡を入れることを当時の千鳥屋の主人であった原田政雄が思いつき、「水鏡せると伝ふる天神の みあしのあとに千鳥群れ飛ぶ」という菅原道真の故事から名前を取り、「千鳥饅頭」と名付けた。饅頭の表面の一番上には千鳥の焼印が押してある。

千鳥屋は1630年も現在の佐賀市で創業した。当時は「松月堂」といい、長崎に渡来していた南蛮菓子の製法をいち早く学び、丸ボーロやカステラを専門に作っていた。しかし原田政雄は当時筑豊炭田で賑わっていた飯塚の地に目を付け、松月堂の支店として「千鳥屋」を開くと、1939年には佐賀の松月堂を閉じ、飯塚の千鳥屋を千鳥屋本店とした。飯塚進出とともに考案された千鳥饅頭は、過酷な肉体労働で甘い物を必要とした筑豊炭田の炭鉱労働者の故郷への土産物として受け入れられ、同じ飯塚生まれの「ひよ子」とともにその知名度は高まっていった。

その後、1949 年には福岡市に進出。さらに関東・関西にも相次いで進出し、現在では全国区の土産菓子として定着。関東ではひよ子に比べて知名度の点ではいまひとつだが、逆に関西では千鳥饅頭のほうが知名度がある。

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